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名古屋地方裁判所 平成元年(ワ)761号 判決 1992年8月07日

原告

加藤冨士雄

被告

石川敏則

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、一〇四二万七九七一円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和六一年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が左記一1の交通事故の発生を理由に、被告に対し民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実

1  本件事故の発生

(一) 日時 昭和六一年六月三日午前一一時ころ

(二) 場所 愛知県海部郡甚目寺町大字本郷字四反知一一街区一番地先交差点内

(三) 第一車両 原告運転の普通乗用自動車

(四) 第二車両 被告運転の軽四輪貨物自動車

(五) 態様 西方から本件交差点内に進入した第一車両と、北方から進入した第二車両とが出会頭に衝突

2  原告の損害(一部)

(一) 付添看護費用 二二万五五八〇円

(二) 装具代 四万二八〇〇円

3  損害の填補

(一) 原告は被告から、本件事故による損害につき合計八二七万四一五六円(うち治療費中社会保険・国民健康保険からの求償分六六万六三二一円)の支払を受け、これに充当した。

(二) 原告は、右のほか、本件事故による損害につき、自賠責保険から後遺傷害保険金三一六万円の支払を受け、これに充当した。

二  争点

当事者は、次のとおり、原告の治療・休業ないし症状固定時の症状と本件事故との因果関係を中心に損害額を争うほか、被告は、徐行義務違反及び左方優先無視による過失相殺を主張し、原告は、過失割合を争つている。

1  原告の主張

原告は、本件事故により、頸部・腰部・右大腿挫傷等の傷害を負い、きとう整形外科病院、海部中央病院等で治療を受け、昭和六三年二月二八日症状固定したが、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級一一級五号に該当する難聴の後遺障害が残存している。

2  被告の主張

本件事故後の原告の症状中には、既往症(頚部脊椎症、右五十肩、右前腕筋肉痛)及び心因的要因が寄与しており、昭和六二年一月一日以降の治療・休業は、本件事故との因果関係がなく、昭和六一年一二月三一日までの治療・休業のうち五割に相当する部分も因果関係がない。

また原告主張の難聴の後遺障害も本件事故との因果関係がないし、仮に因果関係が肯定されてもこれによる労働能力の喪失は認められない。

第三争点に関する判断

一  治療・休業及び現在の症状と本件事故との因果関係

1  原告の治療経過等

甲二の一・二、甲三の一ないし三、甲四ないし甲一七の各一・二、甲一八ないし甲二一、甲二三の二ないし四、甲二四の二ないし一二、乙二の一ないし二二、乙三の一ないし七、乙四の一ないし一三二、乙五の一ないし六八、乙六の一ないし一〇一、乙七の一ないし三、乙八の一ないし五、乙九の一ないし三、乙一〇の一ないし一三、乙一一の一ないし四、乙一二の一ないし一五、乙一三の一ないし五、乙一四及び乙一五の各一ないし八、乙一六の一ないし三五、乙一七の一ないし三二、乙一八の一ないし七八、乙一九及び乙二〇の各一ないし五、乙二一の一ないし四、乙二二の一ないし九、乙三一、乙三二の一ないし七、乙三三、乙三四の一ないし三、乙三五の一・二、証人鬼頭康雄、同服部節朗、同伴野啓、同伊藤清によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 治療の概要

(1) 原告は、昭和六一年六月三日本件事故により頸椎・腰部・右大腿挫傷の傷害を負い、<1>同日及び翌四日きとう整形外科病院に通院してその旨診断され、<2>同日から同年一〇月一四日まで一三三日間同病院に入院し、<3>更に同月一五日から昭和六二年五月一三日まで同病院に通院して治療を受け(通院実日数一四九日間、うち昭和六二年四月末までの分は一四一日間)、一旦同病院への通院を中止した。

右<3>の通院期間中、原告は、<4>次のとおり、きとう整形外科病院及び岡山病院に短期間の再入院を繰り返し、岡山病院では外傷性頸部症候群と診断されたほか、並行して、<5>昭和六一年一〇月一八日から昭和六二年四月二四日まで名古屋第一赤十字病院に通院して同様に外傷性頸部症候群と診断され(通院実日数八日間)、<6>昭和六二年二月一〇日津島市民病院に通院し、<7>昭和六二年三月一一日から五月八日まで伊藤病院に通院した(通院実日数九日間、うち昭和六二年四月末までの分は八日間)。

<省略>

(2) その後原告は、<1>昭和六二年五月一三日から六月二八日まで、及び同年七月二日から八月二八日まで合計一〇五日間海部中央病院に入院し、筋緊張性片頭痛症、頸椎捻挫と診断されて治療を受け、一旦退院し、<2>同月二九日から一〇月三〇日まで同病院に通院したが(通院実日数一〇日間)、<3>同年一一月二日から一三日まで一二日間同病院に再入院し、<4>その後同月二〇日から昭和六三年二月二八日まで通院して治療を受け(通院実日数一六日間)、同日症状固定と診断された。

他方原告は、右入通院期間中これと並行して、<5>昭和六二年六月二九日から七月一日まで、きとう整形外科病院に通院して、頸椎・腰部挫傷と診断され(通院実日数三日間)、<6>同年八月二九日から一一月二日まで同病院に通院し(通院実日数三九日間)、<7>その後同病院には、同月一四日から海部中央病院で症状固定と診断された後の昭和六三年四月三〇日ころまで通院して治療を受けた。

(3) 原告は、そのほか昭和六二年四月四日から、ばんの耳鼻咽喉科病院に通院して、両耳鳴、頭痛、難聴と診断されて、これらの治療を受け、昭和六三年五月三一日ころ症状固定と診断されている。

(二) 症状の推移及び治療内容等

(1) 原告は、昭和六一年六月三日きとう整形外科病院における初診時、頸部痛、腰部痛、右膝部痛を訴えたが、X線撮影検査、神経学的検査では特に異常がなく、頸椎、腰椎の運動はほぼ正常であつた(乙五の五〇・五一、証人鬼頭康雄速記録六四丁裏)。

原告は、翌四日から痛みの増強と頭痛や吐気の出現を訴え、同病院に入院し、頸部から後頭部の痛み、頭部の鈍痛、腰部痛、右膝部の運動時痛、倦怠感等を訴え、ときとして吐気を訴え、微熱が出たりしたが、耳鳴や難聴を訴えることはなく、眩暈や手指の痺れを訴えることも殆どなかつた。同病院では、これらの症状に対し、消炎鎮通剤・筋弛緩剤等が投与され、同月七日から頸部カラーが装着され、同月一一日から理学療法も開始されたが、退院までに右膝部痛が軽減した以外、頭頸部、腰部の症状は一進一退で顕著な改善はなかつた(甲二一、乙六の二八ないし一〇一)。

(2) 原告は、昭和六一年一〇月一四日きとう整形外科病院退院後も、引き続き同様の頭頸部・腰部痛を訴え、同病院等に通院して治療を受けていたが、同月一八日突然強度の頭痛や吐気、悪寒等の出現を訴えて救急車で名古屋第一赤十字病院に搬送され、これを皮切りに、次のとおり前示症状固定の診断後にかけて、搏動性の頭痛、眼窩痛を中心とする同様の頭痛発作を訴え、救急車で病院への入通院を繰り返したほか、昭和六一年一一月一八日及び昭和六二年三月一六日にも同様の発作を訴えて、きとう整形外科病院に通院ないし入院し、またこれらの症状に対し、海部中央病院の医師から筋緊張性片頭痛症と診断された。

<省略>

そして、昭和六三年二月二八日海部中央病院で症状固定と診断された際、頭痛、眼窩痛、頸部痛、左腰腿痛、左下肢知覚麻痺を訴え、両大後頭神経部・右小後頭神経部の圧痛や右各疼痛を原因とする筋力低下、関節可動域の障害があると診断された。

(3) しかし、この間原告には、<1>各病院での頭頸部のX線・CT撮影検査、脳波検査、神経学的検査、血液検査等の他覚的諸検査でいずれも異常が認められず、<2>鎮痛剤・精神安定剤・消炎酵素剤等の投与、点滴、神経ブロツク、理学療法等の治療が実施され、事故から相当期間が経過しているにもかかわらず、前示頭痛発作が収まらず、その他の症状も特段の改善がなく、<3>かえつて、海部中央病院に入院中の、昭和六二年五月二四日、二九日、六月一日、二四日等にはいわゆる偽薬として乳糖を投与された後に頭痛がすつかり軽減したり、また同年六月二一日、七月二七日等には単なる生理的食塩水を注射された後に頭痛が緩和したりするなどの経過が観察された。そのため、きとう整形外科病院や海部中央病院の医師から、原告の症状は、多分に精神神経的なものないし心因性のものと診断された。

(4) また原告は、昭和六二年四日四日ばんの耳鼻咽喉科病院での初診時には、難聴、耳鳴、非回転性眩暈、吐気、嘔吐を訴え、慢性副鼻腔炎、両耳鳴症、眩暈症と診断されたほか、右難聴は後に軽度の感音性難聴と診断されている。

原告は、昭和六三年五月三一日同病院で症状固定と診断された際、難聴、耳鳴、頭痛を訴え、他覚的所見は認められなかつたものの、同病院の伴野啓医師から、原告の耳鳴が本件事故直後より、難聴、眩暈がその二週間後より発生していたことを前提として、これらの症状が事故による頸部挫傷(交感神経障害)に起因する旨診断された。

(5) しかし実際には、原告は、ばんの耳鼻咽喉科病院を除く前示の各病院での治療中、昭和六二年初めないし同年二月三日ころきとう整形外科病院の医師に難聴及び耳鳴(乙四の八八)や眩暈(乙四の一〇一)を訴え始めるまでは、これらの症状を殆ど訴えていなかつた。

(三) 本件事故前の健康状態等

原告は、本件事故以前に、水道部品卸業の株式会社金城商会に勤務し、製品の配達・営業等の職務を担当していたが、昭和六一年一月一七日ころから左手・右肩・右前腕痛や右肩の挙上制限を訴え、これ以降本件事故発生まで同社を欠勤し、同月二二日きとう整形外科病院で陳旧性左手部挫傷、右五十肩、右前腕筋肉痛と診断され、更に同年四月二八日ころから頸部痛と肩凝りを訴えて、退行性変化による頸部脊椎症と診断され、これらの症状に対しホツトパツク、牽引等の理学療法が実施されたが、症状は一進一退で大きな改善は見られなかつた(証人鬼頭康雄速記録一八丁表)。

2  当裁判所の判断

(一) 難聴、耳鳴及び眩暈と本件事故との因果関係

(1) これに関し、甲一七の一、甲一九には、前示1(二)(4)のとおり、原告の耳鳴が本件事故直後より、難聴、眩暈がその二週間後より発生していたことを前提として、これらの症状と本件事故による頸部挫傷との間に因果関係が肯定される旨の記載があり、証人伴野啓にも同趣旨の証言がある。

しかしながら、前示1(二)(5)認定の事実に照らせば、右判断は、その前提事実に重大な誤りがあるから採用できないといわねばならない。そして、前示のとおり、右症状の発生したのが本件事故発生から六か月以上経過した昭和六二年初めないし同年二月三日ころである点も考慮すると、直ちにこれらの症状と本件事故との因果関係を認めることは困難である。

(2) これに対し、原告は、当初きとう整形外科病院の入院時から難聴の症状があつたと供述するが、同病院のカルテや看護記録を精査しても、これを裏付ける記載がなく、採用することができない。

(二) その他の症状と本件事故との因果関係等

(1) 前示認定の他覚的諸検査の結果、初診時の症状等を総合すれば、本件事故による原告の頸椎・腰部・右大腿挫傷は、骨折や脱臼がなく、神経根症状(乙二六・五七頁以下参照)も伴わない、単純な挫傷に類するものであつたと考えるのが相当である。

ところで本件の治療経過をみると、前示のとおり、当初から重大な他覚的所見もみられないまま一三三日間もの長期入院が行われ、その後も頻々と再入院が繰り返され、特に事故から一年近く経過した昭和六二年五月一三日から断続的に一〇五日間の長期入院が続き、結局本件事故から一年九か月余りしてようやく症状固定と診断されているなどの点が指摘でき、通常の単純な頸椎挫傷の場合に比べ、治療期間が相当遷延し、治療の程度も通常の場合を大きく超えているといわなければならないが、前示1(二)(3)認定の事実、証人鬼頭康雄(特に速記録一三丁裏、一九丁表)及び同服部節朗(特に速記録三丁表、七丁表、一一丁以下)によれば、右治療遷延の原因となつた前示頭痛発作等の諸症状には、原告の性格等に由来する心因的要因が極めて大きく寄与しているものと認めることができる。

そして、一般に心因的要因に基づく症状に対しては、整形外科的治療は有効といえず、本件でも、前示のとおり、<1>本件事故後一一か月近く経過した昭和六二年四月末までに、長短併せて六回の入院を含め各種の治療が実施されたにもかかわらず、多数の頭痛発作が繰り返され、その他の症状にも特段の改善がみられず、<2>その後の海部中央病院における長期の入院治療等も一時的な効果をしかあげていない点からすれば、原告の症状は、遅くとも昭和六二年五月から海部中央病院へ前示長期入院する直前の同年四月末の時点で、症状固定の状態に達していたと認めるのが相当である。

(2) これに対し、原告は、前示以外に乳糖の投与後も原告の症状が緩和しなかつた場合も多いと主張するが、一般に偽薬の投与を継続すると、当初のような劇的効果がなくなるものであるから(証人服部節朗速記録一一丁裏)、その主張事実により前示認定を左右することはできない。

他方被告は、本件治療中には、既往症によるものも含まれといる旨主張するが、前示認定の既往症の内容及び証人鬼頭康雄(同速記録四丁表、一九丁裏)に照らし、直ちに採用することができない。

(三) 小括

以上の判断を総合すれば、<1>ばんの耳鼻咽喉科における治療及び原告主張の難聴の後遺障害は、すべて本件事故との因果関係を認めることができず、<2>その他の本件治療のうち本件事故との因果関係を認め得るものは、昭和六二年四月末までの分に限られ、翌月以降の治療は、本件事故との因果関係を認めることができないし、<3>また右因果関係を認め得る期間の損害を認定するに当たつては、前示のとおり、右損害が通常の場合発生する程度、範囲を相当超えており、これに原告の心因的要因が大きく寄与していることを考慮し、民法七二二条二項を類推適用して、その六割を減額するのが相当であると考えられる。

二  損害額

1  治療費(請求二五七万一七七二円) 七五万三四〇四円

前示一2(三)<2>認定の本件事故と因果関係を認め得る範囲の治療について、甲二の二、甲三の二・三、甲四ないし甲七の各二、甲一〇及び甲一一の各二、乙三二の一ないし七、乙三三、乙三四の一ないし三、乙三六によれば、国民健康保険等からの給付を控除した原告の自己負担分に合計七五万三四〇四円の費用を要したものと認められる。

2  付添看護費用(請求も同額) 二二万五五八〇円

当事者間に争いがない。

3  入院雑費(請求二六万五〇〇〇円) 一四万八〇〇〇円

前示一2(三)<2>認定の因果関係が肯定される治療期間中の入院日数は、前示一1(二)(1)認定の事実によれば、合計一四八日間であるところ、入院雑費としては一日当たり一〇〇〇円をもつて相当と認められる。

4  装具費用(請求も同額) 四万二八〇〇円

当事者間に争いがない。

5  通院交通費(請求一四万一一一〇円) 八万円

前示一2(三)<2>認定の因果関係が肯定される治療期間中の通院実日数は、前示一1(二)(1)認定の事実によれば、合計一六〇日間であるところ、公共交通機関の利用料金等として一日当たり五〇〇円をもつて相当と認められる。

6  休業損害(請求五四二万七一二三円) 三五九万二七五五円

(1) 前示認定の治療経過及び原告の症状からすれば、原告は、本件事故が発生した昭和六一年六月三日から前示症状固定と認定できる昭和六二年四月三〇日までの三三一日間にわたり、就労不可能だつたというのが相当であり、現に、甲三七、証人伊藤清、原告本人によれば、原告は、本件事故後も前示金城商会を欠勤した後同社を退職し、不就労の状態だつたと認められる。

甲二二の一によれば、原告は、昭和六〇年金城商会から四四〇万二〇〇〇円の給与等の支払を受けていたと認められるところ、<1>前示一1(三)認定のとおり、本件事故前には既往の傷病のため約五か月にわたり欠勤中で、本件事故直前の症状は一進一退であつたこと、<2>他方証人鬼頭康雄によれば、本件事故後既往の傷病については殆ど治療をしていないこと等を考慮すれば、原告の休業損害を算定するに当たつては、右収入額の九割を基礎とするのが相当であり、これを計算すると、次のとおり三五九万二七五五円となる。

4,402,000×0.9×331÷365=3,592,755

(2) これに対し、原告は、本件事故当時既往の傷病は殆ど治癒しており、就労を再開する直前だつたと供述し、甲二七にも同趣旨の記載があるが、裏付けとなる証拠も、具体的な就労の準備が行われていた形跡もないから、直ちにこれを採用することができない。

7  入通院慰謝料(請求も一九〇万円) 一八〇万円

原告の受傷内容・程度、前示認定の因果関係が肯定される治療期間、治療経過等に照らせば、右金額が妥当である。

8  後遺障害に基づく逸失利益及び慰謝料(請求合計一一一二万三〇〇九円) いずれも認められない。

前示一2(三)<1>認定のとおり、主張の障害と本件事故との因果関係が認められない。

三  心因的要因に基づく減額、過失相殺及び損害の填補

1  以上二認定の損害は、いずれも症状固定までの期間中の損害であり、その総額は、合計六六四万二五三九円であるところ、前示一2(三)<3>の判断にしたがつて、その六割を減額すると、残額は二六五万七〇一五円となる。

2  これに対し、前示争いのない損害填補の状況によれば、原告は、本件事故による損害につき、すでに合計一一四三万四一五六円の支払を受けており、これから、前示二1判示のとおり、すでに控除ずみの治療費中の国民健康保険等からの給付分六六万六三二一円を差し引いても、本件損害填補の総額は、一〇七六万七八三五円を下らないことになり、これが右1の損害額を上回ることは明らかである。

3  したがつて、過失相殺の主張についていかなる結論を取ろうとも、本件で原告が被告に対し賠償を求め得る損害は、残存していないこととなり、また原告の弁護士費用の請求も当然失当といわなければならない。

四  結論

以上の次第で、原告の請求はすべて理由がない。

(裁判官 夏目明徳)

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